楽しいことは味わうことが簡単にできて早くに満足できるから、次へとスムーズに意識が向かうのだと思った。
これを飽きるとも言う。
飽きるとき、それは新しい側面をみる気づきの力を失っているのかもしれない。
もしかして本当は知らないのに知っているつもりになっているだけなのかもしれない。
もしかしてそこで果たすために心を動かした動機を完了させているのかもしれない。
それは自分にとっていいことなのかもしれない。
でも、もしそうだったなら、動機を時々内省してみるのもいいかもしれない。
その動機は自分をどっち方面に連れていくのか?
自分が小さくなるエネルギーか、自分が大きくなるエネルギーか。
正か負か。
結果かプロセスか。
自分を粗末にするものか、大切にするものか。
闇か光か。
そのとき、あらたな自分を発見するかもしれない。
つらつらとそんなことをここに書きながら感じた
(本当に感じているのか・・・?) 朝でした。
一方、不安や悲しいことは、味わうのが辛いから未完了のままずるずる残って次に行きにくいのだという心の構造にあらためて納得したのであった。