意識できているかどうかに関わらず、すべての人がトラウマを持っています。
これは言い切れます。
トラウマとは心の傷で、過去に体験した辛い感情を伴う出来事がたびたび思い起こされて、今の思考や感情や行動に影響を与えてしまうようなことです。
言葉としての大きな意味のトラウマは、ほとんどの人がご存じかと思います。
ですが、それだけではなく、広い意味での「トラウマ=心の傷=未完了の感覚」はいつでもどこでも生まれてしまいます。(説明の難しいポリヴェーガル理論などはここでは省きます)
例えば、
自分にとってやりたくて集中しようとしていた仕事が、上司に呼ばれてMTGに出なくてはいけなくなったとき。これが慢性的に起きると未達成感、不満足感を伴う感覚が残ります。これが未完了の感覚です。
やろうと思っていたことが、幼子のお世話に翻弄されて思うようにいかないとき、これも未完了の感覚があります。
買いたかったおもちゃを買ってもらえずに我慢してすごした幼少期。これも同じです。大人になって大人買いすることである程度はすっきりするかもしれませんが、無自覚でいると果てしなく物に執着する人になってしまうかもしれません。
食べたかったものを買いに行ったときに、売れ切れていただけなのに。。。
挨拶したのに反応がなかったり。。。
伝えたかったのに少しだけ勇気が無くて言えなかったり。。。
ほとんどが「それは仕方ないよね」と軽く済ませてしまいがちなことですが、パターン化すると慢性的に天文学的な回数になるような気がします。
小さなことでも日常的に起きていると思うとぞっとします。
今思えば些細なことでも実はその時はショックだった思うようにならなかったこと。
今も些細な未完了の出来事が誰でも日常的に起きています。
仕事でも私生活でも半端な感覚、未完了な感覚だらけです。
一日の終わりに未完了な感覚からいろいろ思い出してしまい、あるいは思い出さなくても身体感覚としてモヤモヤしていたり、それだけでも寝つけない熟睡できない要因になり得ます。
そんなときはたいてい夢を見ます。
夢のプロセスで想念を整理しようとしています。
夢を探求すれば、そこからも気づきが得られます。
ひとつひとつに対して、何をどのように感じて、何をどのように選択して自分で責任をとっていくのか。
自分自身をメンテナンスして大切にするということは、その未完了の感覚をその都度早めに拾い上げていくということのようです。