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強制的なことで気づきは生まれる?

 

組織の中にいると常にこの課題にぶちあたります。

 

どうしたら気づきが生まれるのか?

 

どうしたら変わりたいって思うのか?

 

それはトップダウンでできることなのか?

 

答えはほとんどの人が自分の体験で気づいている通りです。

 

トップダウンなんかで「私は変わりたいと思った!」なんてことは極めてまれです。

 

願い通りに行動しているように見えても、心の中では本気になっていませんからパフォーマンスが続かないことは明らかです。

 

 

命を授かって生まれてきた生命体はすべて自分を生かしたくて生きています。

 

潜在能力を発揮したいのです。

 

口ではそう言っていなくても魂がそう知っています。

 

花は花として生まれ花として生きます。

 

花としての潜在能力を発揮して、移動できなくても精いっぱい根を広げ、土壌から栄養分を吸収して花を咲かせ種を落として一生を終えます。

 

それが花の魂が知っていて本当に望んでいることです。

 

もし花が蜜蜂になりたいと望んでしまったら、半端ない葛藤で苦しんでしまいます。

 

英知があって純粋で本音を知っている花は、たぶん蜜蜂になりたいと望むことはしません。

 

もし強制されたら枯れて死んでしまいます。

 

 

同じ生命体としての人はどうでしょうか?

 

潜在能力を発揮したいと思っていても、口ではそう言う風にはあまり表現しません。

 

移動できるのに、理由はどうあれひきこもってしまっていたり。

 

身体によい栄養分を避けて甘いものばかり食べてしまったり。

 

自分にできることをせずに、できないことばかりに妄想を膨らませて、本来は持たなくてもいい葛藤を持ってしまったり。

 

自分の本音を知ることを避けていたり。

 

強制されてイヤイヤ言うとおりに振る舞って病気になったり。

 

 

はい、すべて自分もそうしてきました。

 

今もかなり本来の生命体らしくないことをしてしまっていると自覚しています。

 

誰でも完全ではありませんから。。。

 

 

自然な本来の生命体だったら、次のようになるはずです。

 

現実世界で何かが起きる→それを五感を使って感じてみる→感じたことに気づく→興味関心が自然に湧く→すぐに行動してみる→プロセスや結果を存分に味わう→とても満足する→穏やかに落ち着く

 

・・・そしてまた現実世界で何かが起きて、このサイクルを繰り返します。

 

これはゲシュタルト療法でいうところの「経験のサイクル」という考え方です。

 

このサイクルがすべての生命体で気づかないところで無意識に自動的に起きています。

 

そのエネルギーが大きくなるかどうかで現実世界への影響度も自分自身の感じ方もまた変わってきます。

 

そのエネルギーが自分も誰も気づかないほど小さいケースとしては、最初の何かが起きた時に、感じないように拒否するか、感じていても気づけない場合です。

 

拒否せずに感じたままに気づくことさえできれば、あとは少しずつ自動的にサイクルが回っていきます。

 

拒否してしまうのは、その背景にあるアイデンティティの課題や認知の状態によります。

 

行動しなければ、現実世界で何かが起きる確率、チャンスも減ります。

 

 

最初の話に戻すと、強制してもアイデンティティの課題や認知にはコンタクトできていません。

 

強制しても感じることを拒否している状態を解除できません。

 

したがって強制しても気づくことはないのです。

 

本人の背景であるアイデンティティの影響が強すぎるために、少なくても強制する側が期待するような気づきはほぼ起きないでしょう。

 

起きるとしたら、「あーこんなに強制されている世界で生きるのはつらい、もうやる気が無い、辞めたくなった」という気づきでしょうか。

 

この気づきも本人にとってはとても価値のある気づきです。


頑張りすぎて倒れてしまう自分をやさしく休ませたり、ここは自分にとって危険な場所だと感じて違う仕事を選び直せる気づきがあるかもしれません。

 

ただ強制する側が意図しない気づきです。


そもそも強制する側の意図がひとりひとりをちゃんと見ていないことが残念なポイントでもあります。

 

こうなると相互の関係性はどんどん悪化し離れていきます。

 

これが組織で強制したときにおきるロジックだと私は思っています。

 

人も組織も本来は生命体だったんだ、と意識することがもしもできたなら、どんなに生き生きとした『健全な意識の循環・生命体としての経験のサイクル』が回り始め、変容に期待感がいっぱいになるんだろうな、と思っています。