
カウンセラーやコーチに求められる経験値としては、実は瞑想が大きな役割を果たします。
カウンセラーやコーチがもし日常的に瞑想をしていなかったり、瞑想のことをよく理解していなかったとしたら、残念ながらとても浅いアプローチしか期待できないでしょう。
そしてカウンセリングやコーチングを受ける側の人が瞑想的なことを少しでも理解していたとしたら、理解していない人よりも変容が速く広く深くなる傾向があります。
それは個人的な経験をベースに言うと断言できます。
数年前からアメリカから逆輸入のマインドフルネスが流行りだしてから「瞑想」という言葉を日常生活の会話でも時々聞くようになりました。
以前は瞑想と言うのが何かあやしいものだと思われてしまう風潮があったけど今はそうでもないですね。
私ももともとは瞑想することで自分の苦しい生きづらさが無くなるのでは? 少なくても何かが起きるのでは? と期待していたことが今の学びに入るきっかけでした。
今でもわかったようなよくわからないような立ち位置にいます。
それでも何か影響があったような気もします。
あえて言葉にすると、、、「あー今そう考えているんだ、へーなるほどね」と気づいたり、頭痛がするときには、「頭が痛いなー、これって今何を我慢しているんだろう?」と気づこうと意識を頭痛に向けたり、そんな些細なことだけれども実はこれこそが本質的なことだったりします。
瞑想的なことが大なり小なり関連するような本は、他人と比べるつもりはないけど過去の自分比では莫大な量を読んでいると思います。
本ではそれぞれのレベルでそれぞれの意図で異なる目的とアプローチを説明しています。
そもそも目的を持つこと自体が邪魔しているんだけどね。
あまりにもいろんなアプローチがあるので、今は自分のやりやすいようにしています。そうでないと続かないから。
どのアプローチにも共通しているのは「今ここを感じる」ということです。
これ自体ももうたぶん何千年も前から言い伝えられてきていることです。
やはり瞑想を簡単に説明することはできないけれど、何々が瞑想ではないということを言うことはたぶんできます。
瞑想とはたとえば、
・問題解決を目的にするものではない。
・問題解決を期待してするものではない。
・成功することを期待してするものではない。
・過去のことを考えたり未来のことを考えている最中は瞑想的ではない。
・瞑想しようと努力しているときは瞑想状態ではない。
・座っているときだけが瞑想状態ではない。
・自分をコントロールすることを目的にするものではない。
瞑想することで起きることはいったい何でしょうか?
それを書くと瞑想にとって役に立たないかもしれない期待を持つ人もいると思うので少しためらいますが、、、
イメージで言うと、心の抵抗やフィルターの存在に気づいていくこと、そうするとだんだんと気づく力が増えてくる。
あとは自動的に起きる必要のある事だけが起きてくる。
それにも気づくようになってくる。
それが今の自分にとっていいことでもわるいことでも。
ただ起こっていることに繊細にかつ肚の座った状態でジャッジメント無しに気づくようになってくる。
そんな感じでしょうか。
勘違いしてほしくないのは、希望や欲求を持ってはいけないのではなく、それそのものにしっかりと意識を向けてみるということです。
それで何が起きるかはあなたにしかわかりません。
このしっかりと意識を向けるということがほとんどの人には実はできていないという実態があります。
知的に分かっていても意味が無いかもしれないほどにギャップがたぶんあります。
私自身もそうでした。
ずっと知的に分かった状態のままでした。
今もそうかもしれないしそうでないかもしれません。
でももうどちらでもいいんです。
それを気にしているうちは、または分かってる! と言っているうちは本当にそうなのかどうかはあやしいものです。
瞑想には決まった方法はありえません。
ルールなんかありません。
修行する必要はありません。
ただ今ここで存在していることに気づいて感謝していればいいだけです。
それだけです。
目をつぶった方がやりやすいかもしれません。
座った方がやりやすいかもしれません。
歩きながらの方がやりやすいかもしれません。
声を出した方がやりやすいかもしれません。
チャクラや光をイメージした方がやりやすいかもしれません。
シンギングボウルを鳴らした方が気持ちがいいかもしれません。
インドに行ったり山に登っている時の方がやりやすいかもしれません。
ただやりやすい方法が存在しているだけです。
瞑想するためにお金はかかりません。
本当はかける必要がありません。
自分自身を欺いたり強制したりしない限りは副作用もありません。
あえて言うと副作用さえも何かの恵みかもしれません。
今の自分自身の自我を破壊することにつながる可能性があるから、苦しい感覚があるときもあるからこそ意味があるのかもしれません。
つらつらと書いてみましたが、もしおすすめするとしたら、最初は身体の違和感があるところに意識を向けてみることがいいかもしれません。
その方がやりやすいです。
それをきっかけにして芋づる式に次々と気づくことが増えてきたらよい兆候かもしれません。
あるいは気づこうとしている自分にも気づきましょう。
気づけていなくてがっかりしている自分にも気づきましょう。
集中していたり集中できない自分にも気づきましょう。
なんでもありなんです。
そこからあなたにとって今必要な最初のメッセージがやってくることでしょう。
あなたはどのように生きたいですか?
今、何に抵抗していますか?
ぜひ何も期待せずに実験だと思って試してみてください。