伝説のセラピストでもある吉福伸逸さんの言葉に「あなたはあなたの中の母親にしか出会っていない」というものがあります。
たとえば、今の自分の不幸な状況は、過去の毒親から受けた仕打ちによって形成されてきたトラウマによってひき起こされているんだ、すべてはそのせいなんだ、というような心理的態度を表現しています。
たしかにその影響は絶大なものだと思いますが、すべてというのは自身の回復可能性のある潜在能力さえも否定してしまうようなことでもあり、そう思い込むのは少しやりすぎかもしれませんね。
思ってしまうことは仕方が無いので否定しませんし自由なのですが。
そういった心理的態度を無意識に維持することは本人にとってなんらかの潜在的メリットがある可能性も浮かび上がります。
もしかするとその方が無意識なところで「変化が少ない」ため、少なくても今の人のせいにしている方が安心していられるのかもしれません。変化は誰でも不安になるものですから。
でも本人には、知的に気づいていたとしても、たいていその自覚は簡単にはもてません。
自覚することは気づくことであり、気づくことは意識変容の始まりの位置に立つということになりますから、無意識に拒否しようとしてしまいがちです。
意識変容の始まりに立つということは何らかの覚悟の現われであり、勇気という言い方もできます。
母親が少女だったころ、どんな人生だったのでしょうか。
あなたは母親の人生のどこまでを知って理解しているのでしょうか。
私も同じです。特に父親の幼い頃の人生を、今とは異なる側面をもって知って理解した方がよさそうです。
それと同時に、幼い時の自分の感情と父親の感情を再体験してみた方がよさそうです。
きっと自分でも簡単には認めにくい感情があるような気がします。
でも全体としての父親が見えてきたときに、全体としての自分自身も見えてくるような気がします。
このとき、とても普遍的な重要な問いが浮かび上がります。
1.あなたの今の問題は何かの部分でしょうか?
2.それとも、全体でしょうか?
3.部分の問題の重要性はいったいどういうものでしょうか?
4.あなたにとっての全体とはいったいどういうものでしょうか?
この捉え方は、どのような対象にもどのようなレベル感にでも通用できます。
ひとりひとりのことにも、あらゆる社会的集団にも、宇宙規模のことにも。
もし、この深遠なことを本当に感じることができるのなら、今のあらゆる問題はそもそもはじめから無かった、というように消えてなくなってしまうかもしれませんね。