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死ぬ前に問われる3つの質問

死ぬ前に問われる3つの質問

 

これはたまたま手にした本、「ツインソウル」死にゆく私が体験した奇跡(著者:飯田史彦氏)に書いてあったものです。生きがいの創造シリーズで有名です。

 

著者が臨死体験をしたときに光の存在から問われた内容だそうです。

 

ご興味がある方は読んでみてください。

 

3つの質問だけ引用しますが、あとの解釈は私自身のものであり、著作物には何の関係もありません。

 

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そこで問われた3つの質問は。

1.人生で充分に学んだか?

2.人生で充分に愛したか?

3.人生で充分に使命を果たしたか?

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学んだか、、

 

すべての経験は学びのためにある。

 

そもそも学びってなんでしょうか?

 

単なる知識やスキルでもない。

 

何かもっと自分の中心にある根源的なもの。

 

喜び悲しみ怒りを感じそれが自分にもあると知る。

 

自分にも充分に表現できるものであると知る。

 

表現できてもできなくてもそれを自覚さえすればいろんな側面をもった体験が今ここに起きる。

 

それを充分体験するために、この表向きは厳しいと感じることも多い現実が用意されている。

 

でも、学ぶというのは誰に起きるのでしょうか?

 

それは私、でしょうか?

 

私とは誰でしょうか?

 

この名前が付いているらしい肉体でしょうか?

 

私というものを意識している意識でしょうか?

 

私とは何でしょうか? 

 

なんだかややこしい話になりましたが、やはりこれは古くから言われてきた「魂の次元の学び」というのが相応しそうです。

 

 

 

愛したか、、、

 

愛は努力だ、ってなんかの本で読みました。

 

本当にそうなんでしょうか?

 

枯れた花に水をやらないとき、やりたいと思えないとき、それはどういう状態?

 

そういうたとえでは愛に努力は必要なのかもしれません。

 

そもそも努力が必要なのは愛と呼べるのでしょうか?

 

自然に湧いてくるものではないのでしょうか?

 

自然に湧いてくるには?

 

そのためにはおそらく様々な辛い体験も嬉しい体験も必要なのでしょうね。

 

望んで起きる体験や望まないのに起きてしまう辛い体験を通して味わった感情。

 

きっとそれらの感情が土台になって愛することができる準備が整うのでは?と思ってしまいます。

 

本当のところはどうなんでしょうか。

 

そもそも愛って何でしょうか?

 

自分を思う気持ちも愛、人を思う気持ちも愛、影響を与えることができる愛、何にも影響を与えることが出来ない愛、幸せを祈る愛、無力の愛、いろいろな愛の形があります。

 

愛は祈りなのでしょうか。

 

どんな形であれ、少なくてもその感情は常に味わっていたい。

 

 

 

使命を果たす、、、

 

誰かに言われたことを鵜呑みにしてすべきだと思うことではなく。

 

自分自身ですべきだと足かせをすることではなく。

 

自分が少しでも嬉しく感じることを自分の能力を使ってやってみることが使命なのかな。

 

確かに自分は使命を果たしているな、と自分で感じられるようになるには、どうも愛を知らないとできない気がしている。

 

そのときは気づかなくても、後でそれが使命だったと思えるようになるには愛が必要では?

 

どのようなことで嬉しく感じられるのか?

 

その接点は愛を知るということではないだろうか?

 

自分だけがワクワクしていても周りが不幸せな人ばかりではなー、と思ってしまう。

 

でもまずは自分がワクワクしていないとお話にならないし、そもそも続かないので果たすという次元にはほど遠い。

 

やはりあらゆる縁ある体験を通じて深く学び、深く愛を知り、そして本当の使命を果たしていくという道を歩くのかな、と思う。

 

うん、この3つはやはり1セットで人生なのだろうね、とかなり納得しました。

 

 

 

 

通常のコーチングはどこかで導く人と導かれる人というような分離というか役割を作ってしまいます。

 

役割や分離があると、残念なことに自己防衛が起きてきます。

 

そうなると感情表現が乏しくなり浅い関係性になっていきます。

 

カウンセリングやコーチングの場はそれでは意味がありません。

 

何のための人生なんだろうと思ったとき、これはある意味でコーチングの土台になりえる大切な概念でもあると思っています。

 

深い価値観があればあるほどコーチングは深まっていきますから。

  

ここまでくるともはやコーチングというよりは人間対人間が対等に魂レベルで共鳴しているということになるでしょう。

 

私はそんな関わり方を常に目指して生きていきたいと思っています。