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固定観念をいろいろな視点で眺めてみる

私たちは、無意識の固定観念によって、顕在意識や行動をコントロールされています。

その固定観念に対して、他の見方もあることを知ることで、意外な気づきのヒントになる場合もあります。

これはバイロンケイティのザ・ワークの置き換え方をベースにしてみました。

例えば、「私は臆病だ」の思い込みを持っていれば、何かをしたくてもすぐに自分に言い訳をしてしまい、断念するたびに臆病さを自分で証明していることになります。

そしてどんどん自信が無くなっていきます。どんどん思いが固着していきます。

だから、置き換えた文章を元に、同じように無理やりにでも小さな事実でもいいので、「なぜならば、〇〇だから」と、証明してみてはいかがでしょうか。

ぜひご自分の気になる固定観念を紙に書き出して、1回だけでも試してみてください。

 

 


例えばこんな風に置き換えます。

固定観念の原文例「どうせ、私が他の人に言ってもムダだ」

1.<内容を置き換える>私が言うと他の人はその通りになるはずだ。 なぜならば、私の言うことは誰かには心に響く可能性があるから。。。全員ではないとしても少数でも理解してくれる人は確かにいた。

2.<主語を置き換える>他の人が私に言ってもムダだ。なぜならば、私は私の考え方が正しいと思い込んでいるから。。。他人の話を批判せずにじっくり耳を傾けないと、自分の話を聞いてくれなくても仕方ないですね。

3.<自分に置き換える>私が私に言ってもムダだ。なぜならば、そもそも自分を振り返ることが少ないから。。。もっと内省する時間をもった方がいいかもしれないですね。自分の考え方に自分で気づいてもっと自分にとって役立つ想念に置き換えていくことが望ましいですね。

※置き換えるときには、ムダだと言っている定義が何を意味しているのかをよく考える必要があります。ムダは価値が無いという意味なのか、コントロールできない意味なのか、どういう気持ちなのかを感じて置き換えます。

※「自分に置き換える」は特に自由な発想が求められます。そして意外な気づきを得ることがあります。



中庸的な観念の例

1.私の言うことがたとえムダになってもいい。どちらでもいい。

2.あらゆる視点から見ると物事にムダというのは必要なことでもある。

3.どちらにしても、ムダかどうか決めるのは私の心である。

4.たとえムダだと私が感じたとしても、それは事実ではなくただの想念である。想念であるならば自分で消すことが可能で、ほっておいてもいずれ消えていく。それにムダではないという想念と置き換えれば済むことである。

 

 

あくまでも、気づきのきっかけになるかもしれない置き換え事例です。

 

半分は言葉の遊びかもしれませんが、言葉にも感情がくっついています。

 

どこまでその言葉を真剣に感じきるかは人それぞれです。もしも参考になれば幸いです。