· 

「ザ・メンタルモデル」の私なりの要約

人間の最初の発達段階は外側の物事になんとか適合しようとすることで生き延びてきた。

それは完全に習慣となり幼い頃から学校や社会人になってからも、それを中心に学んできているから当然の結果である。

ほとんどの人はそれこそが正しいことだと思い込んでいるし、他人にも常識だろうと言ってはそう仕向けている。

この段階では、不本意な現実が起きるたびにそれを自己正当化してしまう。

心に痛みを感じたくないから。


生きている人間なので、痛みを回避したいのは自然な本能である。

その回避行動には、克服型と逃避型がある。

自分自身の心の自己防衛システムを自覚していないうちは必ずこのどちらかの行動を無自覚に選択している。

根源的には同じ回避行動を動機にしている。

そのため、外からみてどんなに素晴らしく見える行動であっても、本人の人生にとっては何故なのか分からないけど、虚しさがあるという状況が起きる。心が充足しない。

とはいえ、適合期の上限に達する直前の大きな葛藤に直面するまでの間は、それなりのうまみもあり、そこそこの人生を歩めていることが多いので、ほとんどの人は痛みを観るといった行為を自ら望んで行おうとはしない。

一般的に社会の中で優秀だ、と言われている人たちは圧倒的に克服型が多く、企業組織も管理職以上のポジションにいる方々にこの傾向が強く、逃避型の部下をマネジメントできずに苦悩しているという課題が、どんな組織でも共通して存在する。

克服してきた上司からみたら、逃げている部下に腹が立ったり不満足感が湧くのは、自分の中にある逃げてしまいたい部分をある意味では実現している部下を妬んでいるに等しい。(自分の中にあるものを部下に投影している)

痛みの回避だけで終わらせない人生を生きたいと思うならば、まずは自分がどの地点にいるのかを自覚する。

そしてどこかで情熱に転化することが必要になる。

自覚して葛藤に光が当たることで情熱に転化せざるを得ない道を歩くことになる。