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純粋な動機

ただしたいからそれをするということ。

それが純粋な動機。

幼い子供はただボールを蹴りたいから蹴る。

ただ楽しいから蹴る。ひたすら無心に蹴る。

少し大きくなると褒められたいから~をするという動機が混じってくる。

義務と責任を負うとそれが加速する。いつしか無心に何かをするという楽しさを忘れてしまう。

さらに成長するとその動機をそんな動機であることを意識的に観察することもできる。

そして純粋な動機の素晴らしさと難しさを知ることになる。

純粋な動機で行動している人は、少なくてもその行動中には苦しみのかけらも感じないはず。

もし苦しさやストレスを感じるのであれば、自分の言動や行動の動機はそもそも何だったのかを見つめなおしたい。

自分の不純な動機を知ってしまうことは苦しい。だから直視したくない。

でも不純かもしれない動機こそ自分自身が分かってあげないと誰も分かってあげられない。否定してはいけない。

どんな動機も大切な自分の一部。

自分を大切に思うなら、自分をいかすなら、どう行動するだろうか?それだけは常に問い続けていけたらなんとかなる。

 

自己洞察瞑想療法もバイロンケイティのワークも免疫マップのワークも、そういうことに気づくことをサポートするツールになる。